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「主の祈り(2)

 投稿者:Chiquita  投稿日:2015年 2月20日(金)16時20分18秒
  健太君、遅くなって申し訳ありません。年末年始は多忙で記事を書くことができませんでした。

「我らの父よ(Pater noster」は、「主の祈り」の冒頭、神様に向かって呼びかける言葉です。

「アッバ、我らの父よ」と祈りなさい。人間を人間として在らしめている、人類の存在根拠が神様です。従って、神様は我々人間から遠く離れた存在ではなく、いつも身近にいて、我々を生かし育ててくださる父ちゃん(Abba)のごとき存在なのです。その父なる神を「我の父よ」ではなく、「我らの父よ」と呼ぶのは、人はみな同じ父なる神を持っていることを意味しています。

人間の存在根拠(神)は、人種、民族、国籍、性などを超えて同一である以上、人類はすべて本質的に同じです。人と人の間に価値の差異もなく、平等なのです。にもかかわらっず、現実には、上下尊卑の差別や、支配被支配の関係があり、決して平等ではありません。なぜ、そのようなことになっているのか、差別の原因は明白です。それは、人々が、富や地位・名誉・権力・家柄・学歴・知力・体力等々にとらわれ、それら神ならざる偶像を崇拝し、自らの本来の存在根拠である神に背を向けて、放蕩息子のようになり、人間性を喪失し、得体の知れないエイリアンのごとき存在になっているからです。彼らは、富や地位等を持てる者を尊び、持たざる者を蔑みます。

放蕩息子が、富や地位等にとらわれて、父なる神から離れて自分中心的な生き方(罪)を悔い改め、父のもとに立ち帰り、聴従するとき、息子としての実質が与えられ、人と人の差別なき平等(equolity)にして共感的(sympathy)なかかわりを取り戻し、本来の人間となります。

神即ち自らの存在根拠に聴従することは、内なる良心の命令に自己服従することに他ならず、他のいかなるものにも支配されることのない自由(liberty)を実現することになります。

「自由・平等・友愛」の精神が、19世紀にヨーロッパに起こった近代市民革命を導き、1948年の第三回国連総会において選択された世界人権宣言には、

「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利において平等である」

と書かれている。こうした近代精神の源流は、イエス様が弟子たちに教えられた、「我らの父よ、と祈りなさい」というこの短い一言にあったように思います。


健太君、「主の祈り」の次からの、
イエス様の教えの意味するところを、
よく考えて、説明して下さいませ。お願いします。・・・
 
 

主の祈り(1)

 投稿者:健太  投稿日:2014年11月20日(木)15時51分2秒
  マタイ福音書六章九節から十三節に書かれている「主の祈り」はイエス様が弟子たちに教えた祈りです。
「主の祈りは、福音書全体の要約である」とは、3世紀最大のラテン語著作家として知られている教父テルトリアヌスの言葉だそうです。そうだとすると、福音書を隅々まで読みつくすまでもありません。2千年の長きにわたって受け継がれてきた「主の祈り」という短い文言の中に、イエスの教えの根本が示されていることになります。先ずはその全文を確認し、その真実を受け止めたく思います。

       主の祈り(Pater noster)

 天にまします我らの父よ,
       Pater noster qui es in caelis,
 願わくは御名の尊ばれんことを。
      sanctificetur nomen tuum.
 御国の来たらんことを。
        Adoveniat regnum tuum.
 御旨の天に行われる如く地にも行われんことを。
       Fiat voluntas tua, sicut in caelo,etin terra.
 我らの日常の糧を今日我らに与え給え。
       Panem nostrum cotidianum da nobis hodie.
 我らが人を赦す如く我らの罪を赦し給え。
       Et dimitte nobis debita nostra, sicut et nos dimittimus debitoribs nostris.
 我らを試みに引きたまわざれ。
    Et ne nos inducas in tentationem.
 我らを悪より救い給え。 アーメン。
        Sed libera nos a malo. Amen.


この祈りは、神の支配の讃美に始まり、神の意志の充実と恩恵を祈願して終わっています。神は、人間の存在根拠、すなわち、われわれを人間として生かしていることを意味します。その神とのコミュニケーシション乃至は対話を祈りと言うのです。「主の祈り」の一字一句には、イエス様の深い思いがこもっているはずです。

チキータさん、第一に、「我らの父よ(Pater noster」)、
と、冒頭に呼びかける、この言葉の意味するところを、
よく考えて、説明して下さいませ。お願いします。・・・
 

異邦人のように、くどくどと祈るな

 投稿者:Chiquita  投稿日:2014年10月25日(土)15時43分15秒
  「異邦人のように、くどくどと祈るな」ー(マタイ6の7)

イエス様の諭した祈りの心得を考えてみようと思います。通常祈りといえば、困難な状況からの脱出や、願望の実現のために神様の助けを求める場面が思い浮かびます。そうした願い事の中には、立身出世や進学・就職の合格祈願のように、結果として他者を蹴落とすことによってでしか成就し得ない類のものが多いのです。そのような自分中心的な願望の実現のために、願掛けをして、お百度参りをしたり他の者より多くの賽銭を差し出したりして、願いを強く求めます。

しかも自分お願いを叶えるためには他者を抹殺しなければならないとなれば、それは祈りではなく呪いであり、神様に対する冒涜となります。このように祈りが単なる利己心の表明となってはいけません。そこでイエス様は、「異邦人のように、くどくどと祈るな」と戒め、「本当に必要ようなものは、求めない先から神は知っている、だからこのように祈りなさい」と、弟子たちに教えたのが、「主の祈り」として知られている、「天にまします我等の父よ。・・・」から始まる、あの祈りです。

その後、イエス様は処刑される前夜に、ゲッセマネの園において、父なる神様に語りかけます。福音書家は、その時のイエス様の願いごとを、次のように伝えています。

「わが父よ、もしできないことでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままではなく、みこころのままになさって下さい」ー(マタイ26の39)

この祈りを、誰かが現場にいて聞いたわけではないでしょう。だからと言って、伝承者たちの単なる創作ではありません。彼らは全身全霊イエスの祈りを追体験していたに違いあらません。そうであればこそ、イエスの祈りの真実性を伝えているのだと思います。

イエス様が、弟子たちに教えられた祈りの真実は、自分勝手な願いごとをするのではなく、全知全能の父なる神様の愛と摂理を信じて、御心の実現を願うところにあるのではないでしょうか。

「主の祈り」の内容については、
健太くんに、お願いいたします・・・
 

「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(2)

 投稿者:健太  投稿日:2014年 9月20日(土)10時43分22秒
   「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」ー(マタイ5の44)

この言葉には、イエス様の深い思いが込められているように思います。
人は、他の人とのかかわりの中においてこそ、真の自分自身であり得る。この事実を、マルティン・ブーバーは著書『我と汝』で、「はじめにかかわりありき」という美しい言葉で表現しています。私たちは、はじめから深いかかわりの中に置かれており、そこにおいて、生かされているのです。そのかかわりから逸脱すると、真の私自身であることはできません。自他一如、隣人を己の如く愛するのは当然のことです。ところが、人は、往々にして、富や権力などこの世のものにとらわれて自分中心的になり、人と人の本来のかかわるから逸脱してしまいます。敵対関係はその典型です。こうして、人々は自分自身を失い(自己喪失)、人間ならざるもの、エイリアン(alien、異邦人、獣)と化します。このことを、selfalienatin(自己疎外)と言います。

かかわりは、一方だけの問題ではありません。これが修復されない限り、双方共に本来の自分を取り戻すことはできません。しかし、「敵を愛せよ」と言われれば、途方にくれてしまいます。敵対関係に愛はなく愛する間柄に敵など存在しません。敵と愛は水と油、相矛盾するものを融和させることはできそうもありません。イエス様の真意はいったいどこにあるのでしょうか。

人と人は、本来深いかかわりの中に置かれています。こうした愛の間柄においては、損害を受けて仕返しをするようなことはあり得ません。損害を受けたという思いなどもともとないのです。愛しているから好きなのです。好きな人から下着を取ろうとされたとき、上着をも与えることなど、当たり前のことではないでしょうか。

敵は、この世の虚仮なるものにとらわれて自分中心的になり、本来のかかわりから逸脱することによって現れる一種の幻想であって、もともとは、愛する間柄にある者同士なのであります。イエスは、「敵を愛せよ」という言葉でもって、「敵と思っている者も、実は、汝らの愛する者なのだよ」と諭しているように思います。

イエスを抹殺せんとする祭司貴族たち、彼らに唆されて、「十字架につけよ!」と叫ぶ群集、その声に圧倒されて、十字架刑を宣告した総督ピラト、そして、裏切り遁走した弟子たち、イエスにとって、彼らは皆愛する者たちであり、決して敵ではなかったのです。十字架上でのイエスの言葉、「父よ、彼らを赦したまえ」が、その事実を如実に語っています。

「あなたがた貧しき者は幸いである。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」

イエスのこの言葉を耳にすると、人々は腰を上げ、山からおりはじめます。期待が大きかっただけに、裏切られた時の怨みも深い。民衆のイエスに対する幻滅と敵対、多くの弟子たちの失望と離反、それらは、この時から始まることになります。

人と人は、はじめにかかわりありきです。
本来、人は愛の間柄にあり、敵などはいないのです。
互いに助け合う心を忘れず、
よろこびを皆で分かち合いましょう。
これがイエス様の教えのように思います。!!!
 

「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(1)

 投稿者:Chiquita  投稿日:2014年 7月20日(日)10時10分1秒
   『マタイ福音書』に書かれているイエスの言葉を読んで、よく考え、イエスの教えを健太くんと共にしっかりと学びたく思います。

私が、最初に出会ったのが次の言葉です。

「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」ー(マタイ5の44)

イエスは、群がるおびただしい群衆を見て、山に登り、座につきました。大衆の爆発的な人気と熱狂は、すべてイエス自身に対する思い違いに由来していたのです。群衆に取り囲まれていたイエスは、実は孤独でした。理解者は一人もおらず、イエスは誤解の渦の中に身を置いていたのです。長い間、征服者に虐げられ、貧困と屈辱に耐えてきた彼らユダヤ人にとって、ローマからの独立、イスラエル王国の復興は悲願でした。そこでイエスに期待していたのは、唯一、

「圧政と差別に苦しむユダヤ人たちよ、団結して解放運動に立ち上がれ」

という言葉でありました。イエスは彼らの思いに気づかぬはずはありません。固唾を呑んで見つめる群衆を前に、イエスはおもむろに口を開きます。

「あなたがた貧しき者は幸いである。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」

これを聞いて、群衆は一瞬驚き、戸惑い、失望し、幻滅してしまいました。彼らにとって、貧者が幸福であるとは、圧政と差別に耐え、飢えと病に苦しむユダヤ民族の現状を容認していると考え、さらに敵を愛せよとは、彼らにとって敵とは支配者ローマ帝国とその傀儡であって、とても考えられない理不尽極まりない要求であったのです。群衆は、イエスの言葉は全く理解できず、独立解放運動のリーダーになるつもりなど全くないことを感じとった。それまで熱狂的に迎えられていた湖畔の町の人々に、イエスは冷ややかな目で迎えられ、ついに町から追われることになります。

イエスは、自らの思いを述べることによって、
群衆の要求を拒否することになったのですが、
健太君、イエス様の思いを明らかにしてくださいませ。
お願いします。!!!
 

イエスの生涯と言葉が記録されている『福音書』を読みましょう

 投稿者:健太  投稿日:2014年 6月20日(金)15時50分15秒
   今まで,、プラトンの対話編「ソクラテスの弁明」、「クリトン」、「パイドン」を、チキータさんと共に熱心に読んで、ヘレニズム(Hellenism)の代表的な思想家で、人類の四大教師の一人ソクラテス先生の教えを、いろいろ沢山学んできました。このあたりで、一応終わりにしませんか。人類の四大教師と認められている方は、西洋のソクラテスイエス・キリスト、それから東洋のゴータマ・仏陀孔子ですね。次回からは、ソクラテス以外の四大教師の他の先生に学んでみませんか。おそらく、四大教師の伝えている真理は、根本的には同じと思いますが、やや視点が異なっているかもしれません。

 ヨーロッパ文明を形成している二大基調の母体の一つは、ヘレニズム(Hellenism 、ギリシア思想)ですが、他の一つは、ヘブライズム(Hebraism、イスラエル民族の宗教思想)です。その思想の代表者は、イエス・キリスト様であると思います。ヨーロッパ人は信仰と日々の生活をキリスト教に、学問と合理的精神をギリシア思想に負っているそうです。

 チキータさん、『新約聖書』を共に読んで、イエス様の教えを学んでみませんか。

『新約聖書』には、イエス様の生涯と言葉を記録している『福音書』と、初代の使徒たちの宣教活動を記している『使徒行伝』と、初代教会の指導者たちによって書かれた『書簡』など27の書があり、そして、最後には『ヨハネの黙示録』が載っています。

『福音書』には、
 マタイによる福音書、
 マルコによる福音書、
 ルカによる福音書、
 ヨハネによる福音書、
 など、いわゆる『四福音書』がありますが、
 先ずは、「マタイによる福音書」から読んでみたく思います。
 チキータさん、よろしくお願いいたします!!!

 

若い頃に、自然哲学に関心のあったソクラテス

 投稿者:Chiquita  投稿日:2014年 5月17日(土)15時33分42秒
  イオニアの自然哲学者アナクサゴラスが、都市国家アテネの指導者ペリクレスの客として三十年間滞在したと言われています。その頃に、まだ若かったソクラテスが、アナクサゴラスの自然哲学に接し、自然研究について、

「若い頃、あの自然研究といわれる学問に、驚くほど熱中したことがあった。個々の事物の原因を探り、それぞれが何によって生じ、何によって滅び、何によって存在するかを知ることは、僕にはすばらしいことに思えた」(『パイドン』96A)

と語っています。しかし、どんなことでも生じ混合し存在するのが納得できないで、自然学が機械的方法だけの道を進むことは決して出来ずにて、

「ついに、自分は」このような研究には生まれつき全く無能だと思うようになった」(『パイドン』96C)

らしいです。ところでいつか、ある人が、

「アナクサゴラスの書物から、万物を秩序づける万物の原因となるのは知性(ヌース)であるということを読んでくれるのを聞いて、僕はこの『原因』に共鳴した」(『パイドン』97C)

そうです。この考え方によると、人間自身についても、また他のものについても、何が最善であり、何が最上であるかを考察することだと思い、ソクラテスの心にかなった原因を教えてくれる人を見出すことができたと、内心大いに喜んだのでした。そして、大急ぎでその書物を手にして、何が最善であり、何が悪であるかを知るために、できるだけ早く読もうとしました。しかし、アナクサゴラスは、

「事物を秩序づける原因を知性に帰することなく、空気やエーテルとか水とか、そのほか沢山のくだらないものを原因にしようとしているのだった」(『パイドン』98C)

と、ここでソクラテスはアナクサゴラスと決別します。自然研究の科学的説明というようなものは、ソクラテスとは全く無縁のものであったのです。もともとソクラテスの関心は自然現象ではなく、人間の本質とその生き方にあったものと思います。しかし、アナクサゴラスの「ヌース」(知性)を世界秩序の根本原因にする学説に希望を見出しながら、自然学者としてのソクラテスは途中で挫折し、論理家として成長したのでした。

イオニアの自然哲学者アナクサゴラスのヌース説に共鳴したソクラテスは、
やがて、自然から人間に視点を転換し、自然研究の道から、
ロゴス(論理)の道で問答法的なイデア研究の方向へ向かいます。
ギリシア哲学の祖はイオニアのターレスと言われていますが、
人間哲学の開祖はアテネのソクラテスであったのです・・・!!

 

哲学は死の演習である

 投稿者:健太  投稿日:2014年 3月16日(日)14時37分59秒
  チキータさんの要望に応えるために、『パイドン』を読んで、「哲学は死の演習である」というソクラテスの考えをまとめてみました。

 Philosophia(哲学)とは、文字どおり、Sophia(知)をPhilia(愛)することです。日本でも、以前は、哲学を愛知学と言っていました。

 知恵ある人とは、大切なことを大切にする人で、つまらないものを不相応に大切にする人を無知者であるというのがソクラテスの教えでありました。最も大切なものは自己自身(psyche、魂)であり、富や地位や名声や快楽などは自己自身に属するもの(肉体)であって、自己自身に比べてそれ程大切なものではありません。

「身をたて、名をあげ、やよ励めよ・・・♪」

と、地位、名誉、富など自己自身に属するもの(肉体)にとらわれると、魂は錯乱し、真の知を得ることはできません。肉体から離れなければ、真の知は得られないと、ソクラテスは次のように語っています。

「魂が清浄な状態で肉体を離れ、肉体的なものを何一つ引きずらない。これは、魂が一生、自分からすすんで肉体と共同したことはなく、肉体を避けて、自分自身へ集中してきたからであり、このことをいつも練習してきたからである。この練習が真に哲学することであり、真の意味で平然として死ぬことを練習することにほかならない。・・・では魂はこのような状態であれば、自分に似た不可視的なもの、神的で不死で叡知的なものの世界へ去ってゆき、放浪、愚かさ、恐れ、欲情そのたもろもろの人間的悪から解放され、真の神と共に生きるのではなかろうか」」(『パイドン』80E~81A)

 哲学とは知を愛求することです。ところが、富や地位や名誉、欲望や快楽など、肉体的なもの(自己自身に属するもの)にとらわれると、魂(自己自身)は錯乱し、真の知に至ことはできません。

魂と肉体の分離を死と申します。
そこで、ソクラテスは、
「哲学は死の演習である」
と言ったのではないでしょうか。
チキータさん、分かってくださいましたか。
次回からは、『パイドン』の続きを読みましょう・・・!!

 

続・死後の魂の存在について

 投稿者:Chiquita  投稿日:2014年 1月14日(火)10時31分19秒
  私たちはどこから来て何処へ行くのか?。もしかして、ハデスから来て、ハデスへ帰るのかもしれません。年末年始は多忙で、本を手にすることはできませんでした。最近やっと、『パイドン』の一節を読んで、死後の魂の存在について、ソクラテスの考えを把握することができました。

「魂がどこかほかのところから生まれ、作られて、人間の肉体に入る前にも存在していたとしても、肉体に入って、ふたたび離れてゆくときがくれば、その時には魂もまた、寿命が尽きて、滅びてしまって、どうして悪いのでしょうか」」ー『パイドン』77b参照)

とシミアースが問うと、ケベースが同意して、

「そのとおり、シミアース。必要な証明はまだ半分しかできていない」ー『パイドン』77c)

と言います。こうした二人の疑問に対して、ソクラテスは、人間の死後、魂の不死について、次のように語ります。

合成物であるものは、合成された同じ仕方で分解せざるを得ないが、合成物でないものは分解することはない。存在するものには、可視的なものと不可視的なものと二種類ある。不可視的なものは常に同一で、可視的なものは決して同一ではない。我々自身は、肉体と魂とからなるのであるが、肉体は可視的であるが、魂は不可視的である

魂が、視覚、聴覚、その他の感覚を通して、つまり肉体の助けをかりて考察する場合、魂自身、さまよい撹乱される。ところが、魂が純粋に何かを考察する場合、魂は、純粋で永遠で不死で不変な存在へとおもむき、そのような存在と同類であるがゆえに、常にそれと共にある。魂はもはやさまようことなく、あの実在のそばにあって、常に同一にして不変な状態を保つ。なぜなら、魂は正にそのような存在に触れているからである。そして、魂のこの体験こそ知恵と呼ばれる。

魂は常に不変で神的なものに似ている。肉体は死しべきものに似ている。すなわち、魂は不死で叡智的で分解することなく、常に不変で自己同一的である。他方、肉体は人間的で死すべきで分解しやすく、決して自己同一的でない。

魂は、肉体から離れると、たちまち吹き飛ばされて滅びてしまうことは絶対ない。魂は、高貴で清浄で不可視的な世界、ハデスの見えざる国へ善良で賢明な神のもとへ赴く。

以上の、ソクラテスの説明に、ケベースとシミアースは納得します。

「哲学は死の演習である」
という、ソクラテスの説は、
魂は合成物でなく不可視で
不死で叡智的で分解することなく、
常に不変で自己同一的であるという、
そうした考えに結びついているように思います。
健太くん、その意味するところを明らかにして下さい。

 

死後の魂の存在について

 投稿者:健太  投稿日:2013年11月15日(金)11時08分58秒
  人間の死後の魂の存在について、ケベースはソクラテスに向かって次のように発言します。

「人間が死んでもその魂はなお存在し、何らかの力と知恵とを持ち続けているいうことは、おそらく少なからぬ説明と証明を必要とします」ー『パイドン』70b)

それに対して、ソクラテスは、

「君のいううとおりだ」ー『パイドン』70b参照)

と答え、徹底的な究明を試みます。そこで、先ず最初にソクラテスは次のように語り始めます。

「もし生あるものが死んだものしか生まれないということが本当に明らかになりさえすれば、魂がハデスに存在することの十分な証明になるわけだが、そうでなければ、別の議論が必要になるだろう」ー『パイドン』70d)

そこで出された問題が、に対して反対のものがあるなら、は必ず自分の反対のから生じる。たとえば、何かが大きくなるとすれば必ず小さかった状態からなる、より強い状態からより弱くなり、また、悪くなるのはより良い状態からであり、より正しくなるのはより不正な状態からである。・・・・この議論は、一応

「万物は、そういうふうに、自分に反対のものから生じる」ー『パイドン』71a)

ということでまとまり、

「生きかえるということも、生きているものが死んでいるものから生まれるということも、死者の魂が存在するということも、すべて事実なのだ」ー『パイドン』72e)

という結論にいたります。これに対してケベースが言いました。

「われわれにとって学ぶことは想起にほかならないというあの説ですが、もしそれが正しければ、その結果として当然、わたしたちはいま想起するものをすでに学んでしまっていなければならないことになります。しかしそれは、われわれの魂がこの人間の形をとって生まれてくるまえに、どこかに存在していたのでなければ不可能です。ですから、ここにも魂が不死であることを示すものがあるようです」ー『パイドン』72e~73a)

それについて、ソクラテスの考えは、次のようでした。

「魂は、人間の形をとって肉体に宿る以前に肉体から離れて、しかも知力を持って存在していたのだ。・・・美とか、善とか、すべてそのような実在が存在するならば、それらの真実在が存在すると同じように必然的に、われわれの魂も、われわれが生まれる前に存在していることになる」ー『パイドン』76c~e参照)

そこで、ケベースはソクラテスに向かって語ります。魂の存在について、まだ十分には納得していなかったようです。

「必要な証明はまだ半分しかできていないようだ。確かにわれわれの魂がわれわれが生まれるまえに存在していたということは証明されたが、しかし証明が十分であるためには、さらに死んでからも生まれるまえと同じように、魂は存在し続けるという、その証明を付け加えなければならない」ー『パイドン』77c)


私たちが、今ここに存在するという不思議を思えば、
死後の魂の存在もありえないとは思いませんが、
そう簡単には納得できることではありません。
『パイドン』の続きを読んで、
ソクラテスの説明を明らかにして下さい。
チキータさんにお願い致します。
 

ケベースの反論

 投稿者:Chiquita  投稿日:2013年 9月20日(金)09時08分57秒
  健太くん、遅くなってごめんなさい。しばらく家を離れていたため、『パイドン』を読めませんでした。昨日帰宅し、健太くんがお読みになった続きに目を通すことができましたので、いま投稿することにしました。急ぐことはありません。しっかりと落ち着いて、一歩づつ前進いたしましょう。

浄化(カタルシス)とは、魂をできるだけ肉体から切り離し、肉体の戒めから開放され、現在も未来も、できるだけ純粋に自分だけになって生きるように、魂を習慣づけることを意味するのでしたね。 その魂の解放を最も熱望するのが真の哲学者だとすると、魂の肉体からの解放、離脱が死と呼ばれていますから、「哲学は死の演習」にほかならないと言うことになります。

こうしたソクラテスのお話に、ケベースが反論します。

「魂について述べられたことだけは、人々にはなかなか受け入れられないのではないかと思います。魂は肉体を離れると、もうどこにも存在せず、人間が死んだその日に滅びて、なくなってしまうのではないか。彼らはこんな疑いを抱いています。しかし、人間が死んでもその魂はなお存在し、何らかの力と知恵とを持ち続けているいうことは、おそらく少なからぬ説明と証明を必要とします」ー『パイドン』70a~b参照)

それに対して、ソクラテスは、

「君のいううとおりだ」ー『パイドン』70b参照)

と答え、徹底的に究明することになります。

「魂への配慮」 と 「死の演習」、
それが 知を愛すること(philosophia) のすべてした。
本日も、私のはゆとりがありません。
死後の魂の存在についての、
ソクラテスの説明と証明は、
健太くんにお任せします。
よろしくね、お願いします!
 

哲学は死の演習

 投稿者:健太  投稿日:2013年 5月20日(月)10時07分17秒
  哲学の語源は、ギリシア語のPhilia(愛)Sophia(知)の合成語のPhilosophia(知を愛する)です。

哲学は、もともと利益や名誉などを求めるのではなく、純粋に正しい知を求めることにあるのです。ラテン語はphilosophia、イタリア語はFilosofia、ドイツ語はPhilosohpie、英語はPhilosophyと、それぞれ、ギリシア語を受け継いでいます。日本語で、「哲学」という言語が用いられるようになったのは、明治維新に、西周が用いて以来のことだそうです。

紀元前399年春、アテネの牢獄で刑死したソクラテスは、最後の一時を居合わせた友人たちと魂の不死について談話する。プラトンの対話編 『パイドン』 はその場の様子を見事に伝えている。その中で、プラトンは師ソクラテスに、「真正に哲学する人々は、死ぬことを演習している」(67e) と言わしめている。なぜそうなのか、ソクラテスは仲間に向かって次のようにに語っています。

「生涯を正に哲学の中に送った人は、死に臨んで恐れず、死後にあの世で最大の幸福を受ける希望に燃えているのが当然である。僕の確信の根拠は、真に哲学にたずさわる人々は、ひたすらに死ぬこと、死を全うすることを目指しているからである。なぜ、真の哲学者たるものは、いかなる意味で死人と同然であり、死ぬことが適当なのか。それは、死とは魂の肉体からの離脱であるからである。
哲学者たるものが、飲食の楽しみや、性の快楽など、いわゆる快楽というものに夢中になるとは思えない。その他もろもろの肉体についての関心は、本物の哲学者なら重く見ることはない。哲学者というものは普通人とは違って、魂を肉体との結びつきからできるだけ開放しようとするものだ。肉体は真理の探求を妨げるからである」
ー『パイドン』63e~65c参照)

もともと愚か者は、「犬に論語」「豚に真珠」の如く、大切なものを粗末にし、つまらぬものを大切にして、虚しい日々を過ごしているのです。本当に大切なものを大切にする者が、知を愛する者の生き方です。私たち人間にとって、最も大切なものは、金銭や地位、名声など自分自身に属するもの(肉体)ではなく、自分自身(魂)であることは明白です。
知を愛する者たちは、魂(psyche、自分自身)をできるだけすぐれたものにするように努めます。 そのためには、蓄財や立身出世など、自分自身に属するものの世界(肉体、この世)への囚われから脱却して、魂の世界(あの世)へ転向(conversion)するのでなければなりません。こうして、私たちにとって最も大切な「魂への配慮」が、そのまま、「死の演習」に結びついていくわけです。

魂のカタルシス、
この世からあの世への旅立ち、
肉体から魂が離れることを 「死」 という。
知を愛すること(philosophia) は、
大切なものを大切こと、
即ち、「魂への配慮」をすることです。
そのためには、「肉体」への囚われから離脱する必要がある。
真正に哲学する人々は、「死の演習」をしているのです。
 

ソクラテスの自殺禁止論

 投稿者:Chiquita  投稿日:2013年 4月20日(土)11時18分41秒
  ソクラテスに頼まれたクリトンは、家の者たちに指示して泣き悶えるクサンティッペを連れ去ります。この処置は、悲しむ妻に対するソクラテスの深い思いやりによるものでした。

その後、ソクラテスは寝台の上に座り直し、脚をまげ手でさすりながら、悠然と日没までの時間を、仲間と語り続けようとします。ソクラテスは、死後の世界の観想を充分に尽くし、死の準備はととのっていました。死は、神や今はなき優れた人たちのいるハデスへ行ける「希望に満ちた門出」であったのです。そこで、ソクラテスが、

「あの世へ旅立とうとしている者にとって、我々があの世での生活をどんなものだと考えるのを、吟味してみたり、あれこれ想像して話したりすること以上にふさわしいことはないだろうからね。日が沈むまでのあいだ、ほかに何かできるだろう?」ー『パイドン』61E)

と言い始めると、テーバイの人で、ピタゴラス派のピオラーオスの弟子であったケベースが、

「それでは、ソクラテス。自分を自分で殺すのは神意にもとると言われているのは、どうしてなのでしょう」ー『パイドン』62A)

と問います。それに対して、ソクラテスが、

「死ぬ方がよいことであるその人間が、自分で、自分に、このよいことを行うのは、神意にもとることであり、ほかの人がしてくれるのを待たなければならないというのだから、君には多分不思議に思えるだろうね」ー『パイドン』60A)

と言うと、ケベースがくすくす笑って、

「ほんまに」

とお国ことばまるだしで言ったそうです。ここから、いよいよ自殺の是非についての議論が始まることになります。

生がつねに死より望ましいという想定が事実なら、自殺の禁止は正当化されます。ところが、もしある場合ある人にとって、死ぬことが生きることよりも善いということも、生きることは死ぬことよりも善いということもあるのであるとするならば、死ぬことが善い人間にとって、自分にとって善いことをすること、すなわち、自殺することは許されることになりませんか。悪をさけ善を選ぶのは当然のことで、こうした行為が、人間の自由というものであろうと思うからです。しかし、ソクラテスは、自殺の禁止は無条件であると主張します。

「神々がわれわれをみまもっておられ、われわれ人間は神々の持物の一つなのだ」ー『パイドン』62B)

とその根拠を示します。そう言われてみれば、確かに、私たち人間は、自分の力で存在し生きているのではありません。気がついてみれば今世に存在し、生かされているのです。世界と人間の存在根拠は神としか言いようがありません。善は、神の支配下に身を置き、常に神と共に歩むことにあるのです。なのに、自殺することによって、その神から離れ支配権を犯すことになれば、同時に自らの存在根拠を失うこととなります。そうなれば、私たちは人間本来の生き方は不可能になり、事態は最悪で、決して善いことなどではありません。

数時間後には、ソクラテスは、
毒杯を仰いで刑死することになります。
自殺禁止論を主張しますが、
自らの死を否定してはいません。
死についての考えをしっかりと伺ってみたく思います!!!
 

ソクラテスの処刑の日、仲間たちの間に漂う不思議な雰囲気。

 投稿者:健太  投稿日:2013年 3月20日(水)10時41分31秒
  ソクラテスの死刑の判決後、クリトンを始めパイドンその他の人たちは、毎日のように牢獄に通い、ソクラテスを中心に語り合いながら過ごしていたそうです。三十日後の夕方、みんなが牢獄から出たところで、デロス島からの船の到着を知らされます。その翌日が死刑執行される日です。そこで、みんなはソクラテスの臨終に立ち合うために、できるだけ早く集まることを約束します。

その朝には、クリトン、パイドン、アポロドロス、等々、弟子や友人や仲間など多くの人が集まりました。ただし、ソクラテスの偉大な弟子プラトンは、病気のために立ち合うことができなかったようです。

ソクラテスの仲間たちが行くと、いつも門を開けてくれる門番が出て来て、

「実は今、11人の刑務員がソクラテスのいましめを解き、今日刑が行われる旨を申渡しておられるところだから」ー『パイドン』59E)

と言って待たされます。しばらくして許可を得て中へ入ると、いましめを解かれたばかりのソクラテスとそのそばに子供を抱いたクサンティッペが座っているのが見えたのです。その時、クサンティッペが彼らを見ると、悲しみの叫びをあげて、

「ねぇあなた、このお友達の方たちがあなたとお話なさるのも、あなたがこの方たちとお話なさるのも、これが最後なのですね」ー『パイドン』60A)

と、こういう場合に女の人がいつも言うような言葉を口にしたのだそうです。ソクラテスの妻クサンティッペは、悪妻の代名詞のように用いられ、彼女が例のごとく口きたなく罵ったあとで、ソクラテスへの頭から水をかけたとき、平然として、

「雷のあとに、大雨がつきもだ」

と言ったいう話はよく知られています。その他にもさまざまな逸話がつたわっています。その上で、

「悪妻を娶れば哲人になる」

などという説が世間に飛び交うようにもなります。ソクラテスに対する、愛情に満ちた、状況を鋭敏にとらえたクサンティッペの最後の言葉を思うと、彼女の悪妻説は、ソクラテスの英雄伝説の影として、後の人々がでっち上げた単なる風評で、とても真実などではあり得ません。

ソクラテスは、自分の死を悲しむクサンチッペを、クリトンに頼んで、家へ連れて行かします。そして、その後は、取り囲む仲間たちと処刑の時刻になるまで、終日話し込んでいたのです。その間、仲間たちは不思議な気持ちになっていたそうです。

死を前にして、ソクラテスの様子も言葉も、いかにも幸せそうに見え、本当になんの恐るところもない、高貴な最期だと思ったからです。そういうわけで、ハデス(冥界)で幸せな人がいるとすれば、この方こそ、そうなのだと思い、悲しみの場に居合わせた人が当然感じるような悲哀の情がほとんど起こらなかったのです。しかし、だからといって、いつも哲学にふけっている時の楽しみもなかったのです。一方では、確かに楽しみはあるのだが、他方で、ソクラテスがもうすぐ亡くなられようとしているのだと思うと、悲しみがこみ上げてきて、かつてない複雑な気持ちになってしまったようです。そこにいた仲間たちはみな同じような思いで、時には笑い、時には涙を流していたらしいのです。

仲間たちの不思議な気持ちの出処は、
ソクラテスを中心とする対話の中にあったはず。
その内容をしっかりと読み取りたいを思います。
いったい、何があったのでしょうか、
ソクラテスが、永遠の哲人であったか否か、
その答えは、臨終の様子にあったとも言えます!!!
 

本日より、第二の弁明の書『パイドン』を読みましょう!

 投稿者:Chiquita  投稿日:2013年 2月20日(水)10時57分51秒
編集済
  紀元前三九九年の春、ソクラテスはアテネの牢獄で刑死した。それからすこしたってのち、臨終に居合わせたパイドンが、ペロポンネソス半島の小都市プレイウスをおとずれ、そこでエケクラテスにソクラテスの死の模様をたずねられるところから、この対話篇ははじまります。

ソクラテスの刑死したのは、判決が下ってからずいぶんたってからでした。アテネ人がデロス島におくる使節船の飾り付けするのが、たまたま、あの裁判の前日であったのです。

むかし、クレタ島の王ミノスは、年々貢物として、アテネから七人ずつの若者と乙女を送らしめ、クレタの迷宮に住む怪物ミノタウロスのいけにえたらしめていたのです。テセウスが七人の若者の一人としてクレタ島に行き、王女アリアドネのあたえた糸によって迷宮を脱し、ミノタウロスを退治してみなのいのちを救ったのでした。

言い伝えによれば、その時アテネ人たちは、アポロンに誓を立て、もし彼らが救われたならば、毎年デロス島に祭使つかわすことを約束します。その時以来ずっと欠かさず、毎年この神に約束の祭使を送っていたわけなのです。この祭使派遣の行事が始まると、彼らのあいだの掟として、その期間中都市は清浄に保たれなければならないこと、公共の名において何びとをも死刑に処してはならないことが、決められていました。それは船がデロス島に到着して、ふたたびアテネに帰ってくるまでのあいだですが、ときによっては、逆風によって船足を妨げるような場合、かなり長い日数がかかることもあります。この祭使派遣の行事が始まるのは、アポロンに使える神官が船のともに飾りつけをするときからなのですが、これが、たまたま裁判の前日にあたっていたのであす。そういった事情のために、ソクラテスが裁判から死までの間に牢獄ですごされた期間も、ずいぶん長いものになったわけです。

処刑の日が迫る中、ソクラテスの幼い頃からの親友クリトンは、死刑という不正な判決を受けたソクラテスを救済するのは当然の義務であると考え、テッサリアへ逃すために、獄吏を買収し一切の手筈をととのえ、残すところは、ソクラテスを説得し同意を得ることだけでありました。人間にとって大切なのはよく生きること、そのためには、不正はそれ自身悪なるがゆえに、何人に対しても、たとえ自分がいかなる不正を加えられようとも、不正を加えてはなりません。国家にとって定められた判決が個人の恣意によって覆されるとしたら、これに勝る悪はありません。しかもソクラテスは、ペリクレス時代のアテネをひたすらに愛していたのでした。こうして、脱獄を拒否したソクラテスの思いを、クリトンは受け入れざるを得なかったのです。

ついにデロス島から船が帰ります。それは死刑の判決の日から三十日後のことであったそうです。その翌日がソクラテスの処刑の日になります。その日の朝早くから、ソクラテスの弟子、友人、その他大勢の人が牢獄に集まってきます。ただ、ソクラテスの偉大な弟子プラトンは、病気のため立ち会うことができなかったと書かれています。ソクラテスは、親しい友人たちに囲まれて、死刑の始まる夕方までの時間、悠然と語り続けていました。そうした臨終の場での、ソクラテスの言葉と振舞を伝えているのが、プラトンの対話篇『パイドン』です。

裁判所における陪審員たち対する『ソクラテスの弁明』に続いて、
『パイドン』は、臨終の場における友人たちに対する、
第二の弁明の書であると言われています。
この対話篇は、ソクラテスの真実に迫るためには、
『ソクラテスの弁明』と同様、しっかりと読み切る必要性がありと、
思いますので、次回よりよろしくお願いいたします!!!
 

続・ソクラテスと国法の架空の問答

 投稿者:健太  投稿日:2013年 1月21日(月)12時15分35秒
  アテネの国家と国法が気に入らないなら、何処へでも自分の好きなところへ出ていくことが自由にできるということになっていました。従って、国家に留まる国民は、国法の命ずることに従うと同意していることになります。それなのに、国法の命じることに従わない者は、国法に対する約束(同意)を守らず、服従もしないし説得もしないという不正を犯すことになります。そこで、国法は、

「ソクラテスよ、もしお前が判決に従わないで、脱獄することになれば、お前の咎は、アテナイ人のうちでは、決して小ではなく、むしろ中でも、一番大きいと主張する」ー(『クリトン』52A)

と言います。なぜなら、ソクラテスは、アテネの国家と国法を誰よりも気に入っていて、出征のために三度国外に出た以外は、アテネにへばりつき、外遊も、未だ一度もしておらず、裁判においても、国外追放の刑を申し出もしませんでした。そうした事実は、ソクラテスがアテナイ人のうちでいちばん多く、国法に従うことに同意していたことになるからです。

法廷において、ソクラテスは弁明はしましたが、陪審員たちを説得するまでには至りませんでした。そこで出された判決が「死刑」であったのです。もともと、ソクラテスは、無実の罪で告訴され、有罪が確定し死刑が宣告されたのです。この判決は、どう見ても正しいものではありません。このような不正な判決に対して、「脱獄」で報復するのは、正しい行為なのでしょうか。

不正はそれ自身悪です。それ故に、何人に対しても、たとえ自分がいかなる不正を加えられようとも、不正を加えてはなりません。国家は他の何ものにもまして、われわれがそれに対して悪を加えてはならない存在です。本来、脱獄は国法との約束を無視して、国法を破壊し国家に害を加える不正な行為なのです。判決の不正や加害の見返しとしての脱獄は、決して正しいことではなく、むしろ醜い行為であるのです。

ソクラテスの設定した架空の国法の主張は、そのまま、クリトンをも説得します。

そもそも、不正な判決は、国法によるものではありません。
世間の人間によるもので、国法による不正などあり得ません。
不正な判決にもかかわらず、国法に逆らって脱獄するようなことはせず、
ソクラテスは、国法に従って、粛々と毒杯を仰いで死に至ります。
いかなる場合でも、不正な行為は避けねばならない。
これまさに、ソクラテスの生き方そのものであったのではないでしょうか・・・・。

ここに来て、やっと、ソクラテスの真実を伝えるプラトンの対話篇『ソクラテスの弁明』と、その続編といわれている『クリトン』を読み終えました。プラトンのソクラテス的対話篇のなかでも、「ソクラテスに関する四福音書」と呼ばれている『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、『パイドン』、『シュンポジュウム(饗宴)』、これだけは、ソクラテスの真実に触れるためには、なんとしても読み切る必要があります。次回からは、『パイドン』を一緒に読みましょう。

『パイドン』は、ソクラテスの処刑の日に、
獄中に弟子たちが集まり、
死について議論を行うという舞台設定で書かれています。
ソクラテスは何の怖れもなく、平然として死に赴きます。
それを見て不思議に思う親しい友人や弟子たちに対する、
ソクラテスの第二の弁明の書、
それが『パイドン』であるとも言われています。
死は、ソクラテスにとって、一体いかなるものであったのでしょうか!!!
 

ソクラテスと国法の架空の問答

 投稿者:Chiquita  投稿日:2012年12月20日(木)11時36分37秒
  「たとい不正な目にあったとしても、不正の仕返しをするということは、世の多数の者が考えるようには、許されないことになる。とにかく、どんなにしても、不正を行ってはならないのだ」ー(『クリトン』49B)

 このようなソクラテスの考えに、クリトンも同意します。そこで、ソクラテスは、

「いま僕たちが、国民の承諾を得ないで、ここから出て行くとするならば、それは何ものかに、僕たちが害悪を与えていることにならないだろうか」ー(『クリトン』50A)

と改めて問題を提起します。それに対して、クリトンが、

「君のその問には、僕は答えができないよ」ー(『クリトン』50A)

と言ったため、この問題を解決するための問答が不可能になってしまい、ソクラテスは、自分が国法(nomoi、ノモイ)と問答するという架空の場面を設定し、擬人化した国法と議論を進めることになります。すると先ず、ソクラテスの脱獄を企てているところへ、国法が姿を現して、

「脱獄は、国家の法廷が下した判決が個人によって無効になり、国法と国家に害悪を与えることになりはしなかね」ー(『クリトン』50A~B参照)

と問いかけます。それに対して、ソクラテスが、

「それは国家が、われわれに対して、不正を行ったからです。不当な判決を下したからです」ー(『クリトン』50C)

と脱獄を正当化する弁解を提案すると、クリトンは、

「いや、ゼウスに誓って、それこそわれわれの言おうとすることだよ」ー(『クリトン』50C)

と賛同します。この弁解の正当性について検討するために、再び国法が姿を現し、

「国家の下す判決は、忠実に守るということが、約束されていたのではないかね」ー(『クリトン』50C)

と主張します。つまり、国家が国民に不正な判決を下した場合は、国民も国家に対して不正を行ってもいいという取り決めはしていないというのが、国法の言い分です。従って、ソクラテスは脱獄をしないで、死刑に服すべきことになります。ここで、国法は、国法と国民の関係について語ります。

「先ずは、国法には、婚姻に関する法律があり、それによってお前(国民)に生を授け、さらに、扶養や教育についての法律もあり、それによってお前(国民)は扶養され教育されている。すなわち、国民は国法を、その生存の基盤にしているのである。従って、戦場においても、法廷においても、どんな場合においても、国家と祖国が命ずることは何でもしなければならないのだ。そうでなければ、この場合の正しさが、当然それを許すような仕方で、説得しなければならないのだ。それに反して、祖国に対して暴力を加えるようなことは許されることではない。ところで、国民の誰かが、国法とこの国が気に入らない場合には、どこか欲するよその国へ出て行くことを妨げもしないし、禁止されてもいない。にもかかわらず、ここに留まる国民は、国法に命ずることに従うことに同意していることになる。これに服従しない者は、生みの親なる国法に服従しないで、育ての親なる国法にも服従せず、さらに、国法に服従すると約束しておきながら、服従もしないし説得もしないという、三重の不正を犯しているのだ」ー(『クリトン』50D~52A参照)

国法は、国民の生みの親であり、育ての親である。その国法が気に入らぬ者は、他国へ出て行くことも禁止してはいない。にもかかわらず、この国に留まっている者は、国法に服従することを同意していることになる。こうした、国法と国民の関係を語り終えた後、国法は、ソクラテスに向かって、

「かくて、これらの咎を、お前もまた、ソクラテスよ、もしお前がもくろんでいることをなすようなことがあれば、受けなければならないだろうと、私は主張する。しかもお前の咎は、アテナイ人のうちでは、決して小さくはなく、むしろ中でも、一番大きいと主張する」ー(『クリトン』50C)

と言います。ソクラテスは法定において不正な判決を受けたのでした。にもかかわらず、なぜ国法は、ソクラテスがその判決に従わず脱獄するとなれば、アテナイ人の中で最も大きいい咎になると主張するのでしょうか。

国法の言い分をしっかりと受け止め、
ソクラテスが同意するか否か・・・、
プラトンの著書『クリトン』も、いよいよ最終章、
健太くん、ソクラテスが設定した国法との架空の問答、
次回、その行き着く先を確認してください!!!
 

脱獄亡命の是非

 投稿者:健太  投稿日:2012年11月20日(火)10時27分10秒
  これまでのソクラテスとクリトンの二人の討論を通して、多数者の思惑を気にする必要はななく、むしろただ一人でも、正不正美醜善悪についてよく知って人が何と言うかのほうが、大切なのだという結論に至ります。次に、

「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなく、よく生きるいうことなのだ」ー(『クリトン』48B)

という原則を語り、ここでいうところのよく生きるの「よく」は、「美しく」とか「正しく」というのと同じだということを確認した上で、

「アテナイ人の許しを得ないで、ここから出て行こうと試みることは、正しいことなのか、それとも正しくないことなのか」ー(『クリトン』48C)

という「脱獄亡命の是非」についての問題の検討が始まります。そこで、先ずソクラテスは、

「とにかく不正というものは、不正を行う者には、どんなにしても、まさに害悪であり、醜悪あるということになるのではないか」ー(『クリトン』49B)

と発言し、つづいて、

「そうすると、たとい不正な目にあったとしても、不正の仕返しをするということは、世の多数の者が考えるようには、許されないことになる。とにかく、どんなにしても、不正を行ってはならないのだ」ー(『クリトン』49B)

と語ると、クリトンも賛同します。

不正行為が他人に害悪を与えるというのが一般的な考えです。しかし、ソクラテスは、不正を行う当人にとって害悪であり醜悪であると言っているのです。その理由は、人間にとって最も大切な魂は、正しさによって向上し、不正によって滅びるー(『クリトン』47D)と考えていたからです。従って、相手から不正なことをされ、害悪を受けたからといって、相手に不正を行い、害悪を与えるようなことは、ソクラテスの考えでは、正当な理由になりません。つまり、殴られたから殴り返すといったような、不正な目にあった仕返しであっても、不正を行ってはならないのです。従って、たとえソクラテス裁判の判決が不正なものであったとしても、脱獄が不正な行為ならば、行ってはならないことになります。

不正を行ったり、
不正の仕返しをしたりすることは、
当を得たことではない。
害悪を受けても、仕返しによって、
害悪を与えるような自衛は、やはり不当である。
このことを確認した上で、
いよいよ、「脱獄亡命の是非」の検討が始まります!!!
 

続・世間の思惑についての検討

 投稿者:Chiquita  投稿日:2012年 9月20日(木)11時45分57秒
編集済
  クリトンは、世間に顔向けのできないような恥知らずのことはしないで、名誉を重んじるべきであろと、世間の多数の人たちの評価を気にかけて、彼らの意見に従って行動しょうと考えていました。それに対して、ソクラテスが、

「思慮ある人の思いなしは有用だけれども、思慮のない人のは有害なのではないかね」ー(『クリトン』47A)

と問いただすと、クリトンは素直に同意します。ところで、何についても、専門的な知識を持っているような思慮のある人は少数で、大多数の人は、まるで素人のような思慮のない人であります。従って、世間の多くの人々の意見に従って行動しょうとしていたクリトンの考えは論駁されたことになります。

しかし、ソクラテスの言い方は、どこか抽象的で、クリトンがどういう意味で受け取り、どこまで理解しているかは不明で、議論は机上の空論になりかねません。そこで、ソクラテスはここで留まらないで、思慮のある人の意見は役に立ち、思慮のない人の意見は役に立たない、その根拠を明確にするために、現実的にして具体的な「体育の練習をする者」の例を出して、再検討を始めます。

体育の練習をして身体を鍛えている人がいるとすると、彼らは、練習の仕方や食事の取り方について、多くの人の思いなしにではなく、ただ一人の体育家とか医者の思いなしに注意を払うべきであります。そのただ一人の言を拒否して、多数の何も分からない連中の言に従ったりすると、きっと身体を破壊してしまいます。そうすると、破壊され駄目になった身体をもって、生きがいのある生き方ができなくなるというソクラテスの発言に、クリトンも同意します。

この場での、身体を壊したらよい生き方が出来ないという議論は、身体障害者や病人を差別するものではありません。実際、ヘレン・ケラーやホーキングは立派な生き方をしています。身体障害者にとっても健常者にとっても、病気や怪我などによって、良い生活を損なうと言っているに過ぎず、よい生き方をするために、身体が全てだと言っているわけではなく、ただ、「体育の練習をする者」を持ち出したのは、具体的な例を用いて、比喩的に話しているに過ぎないのです。ソクラテスの、

「大切なことは、ただ生きるということではなく、よく生きるということなのだ」ー(『クリトン』48A)

という言葉はよく知られていますが、そのためには、人間を人間として生かしている人間の存在根拠であるプシュケー(psyche、魂、精神)をできるだけすぐれたものになるようにすべきです。魂を破綻したら、よい生き方は望めません。

「魂は正しさによって向上し、不正によって滅びる」ー(『クリトン』47D)

従って、正邪美醜善悪をしっかりと考える必要があります。そのためには、体育の練習をするものと同様に、ただ一人でも、正邪美醜善悪についてよく知っている人の言うことを大切にすべきであって、無思慮な多数の人々の言うことを気にしてはなりません。こうして、「体育の練習をする者」の例を用いて、世間の多数者の思いなしを気にする必要のないことを明らかにし、クリトンも、そのことを素直に納得します。

世間の多数者の意見に従ってはならない。
この点に関しては、ソクラテスは、
「体育の練習をする者」の例を用いて、
クリトンの説得に成功したのです・・・
 

世間の思惑についての検討

 投稿者:健太  投稿日:2012年 8月21日(火)09時43分54秒
 
クリトンたちのソクラテス救出計画の準備はほとんど整っていましたが、肝心のソクラテス本人が同意しないでいたのです。そこで、クリトンは、

「今からでも、まだ間に合うのだが、君は僕の言を容れて、自分を救うことをやってみないかね」ー(『クリトン』44B)

と、ソクラテスの説得に取り掛かり、

「僕にとって、君に死なれることは、かけがえのない友人を失うということだけではなく、世間の大多数の人たちに、僕が金銭をつかう気になりさえすれば、君を救うことができたのに、友人よりも金銭を大事にするただの守銭奴にすぎない、友だちがいのない人間と思われる。これ以上に恥辱で不名誉なことがあるだろうか」ー(『クリトン』44B~C参照)

と、ソクラテスに訴えます。

確かに、私たちは、恥辱や名誉や評判を気にして、それが日常の行動基準にもなっています。なぜなら、世間の人々から良く思われれば、好意と尊敬を得て、愛され良いことをしてくれます。ところが、彼らから悪く思われると、憎まれ害悪を受けることにすらなります。恥辱や不名誉や悪評を恐るのは当然です。実際に、ソクラテスの災難そのものが、アテネの人々の風評によってもたらされたものであるのです。

このクリトンの訴えについて、いよいよソクラテスの検討が始まります。問題は、ソクラテスとクリトンの主張のいずれが正しいかではなく、二人にとって正しい考えを見出すことにことにあります。そこで、ソクラテスは、

「僕はぜひ、クリトン、君と一緒に、よく考えてみたいのだ」ー(『クリトン』46D)

と話しかけ、考察の足掛かりとして、「人間の思わく」についての考えを確かめるために、

「人間の思わくというものは、これをすべて尊重すべきであるというようなものではなく、そのあるものは尊重しなければならないが、またあるものはそうではないと言われているが、君の意見はどうかね」ー(『クリトン』47A)

と問うと、クリトンは、

「うん、いい」ー(『クリトン』47A)

と答えます。それまで、クリトンは、世間の多くの人々の思わくをただひたすらに恐れていたように見えますが、ここにきて、恐るべきものと恐るべきでないものがあるという意見を受け入れたのです。それは、だれも認めなければならないものであったからに違いありません。つづいて、ソクラテスが、

「それなら、尊重しなければならないのは、有用な思いなしのほうであって、有害なものは、そうするに及ばないないのではないか」ー(『クリトン』47A)

と確認すると、

「うん、そうだ」ー(『クリトン』47A)

と同意します。「有用」か「有害」かとは、「善」か「悪」かということであり、行為の目的とかかわります。すなわち、人間の行為の原則の認識ということになるわけです。ソクラテスは、さらに一歩踏み込んで、

「ところで、思慮のある人の思いなしは有用だけれども、思慮のない人のは、有害なのではないかね」ー(『クリトン』47A)

と問うと、クリトンは、

「それに違いない」ー(『クリトン』47A)

と素直に答えます。以上のソクラテスの問に対して、クリトンはその全てを受け入れますが、それは当然のことです。否定するものなどは誰もいないと思います。ところで、いかなるものについても、思慮ある人は少数で、思慮のない人のほうが多数です。従って、世間の多数の人たちの評判を気に掛け、彼らの意見に従って行動しようとしていたクリトンの考えが間違っていたことを、二人で共に認識したことになります。しかし、ソクラテスは、ここでとどまらないで、「体育の練習をする者」という、具体的な例を出して、再検討を始めます。


ソクラテスは、なぜ、
「体育の練習をする者」という、
具体的な例を出して、
再検討を始めたのでしょうか!
その目的の解明は、
チキータさんにお任せいたします。、・・・
 

ソクラテスの行為の原則

 投稿者:chiquita  投稿日:2012年 7月20日(金)10時20分29秒
  ソクラテスは、犯罪者でもないのに、謀略や怨念によって告発され、死刑という不当な判決を受けたのでした。そこで、クリトンは、ソクラテスが牢獄にとどまって死を待つのは正しいことではなく、牢獄を脱出して国外へ亡命すべしであると考え、ソクラテスの同意を得るために、熱心に説得を試み、最後に、

「ソクラテス、僕の言うとおりにしてくれ、いやだなんて、どうか、言わないでくれ」ー(『クリトン』46A)

と、ソクラテスに懇願します。このクリトンの熱意ある説得が、友を思う誠意からのものであることを充分に分かっていたソクラテスは、感謝の気持ちを込めて、

「おお、愛するクリトン、君の熱意は、大いに尊重しなければならない」ー(『クリトン』46B)

と応じます。だからと言って、ただちにクリトンに同意することはしませんでした。なぜなら、ソクラテスは、感情に従って行動するような人間ではなく、自分でよく考えてみて、原則論として、これが最上だということが明らかになったものでなければ、他にどんなものがあったとしても、それには従わないような人間であったからです。もしクリトンの説得が間違っていれば、熱意が大であれば大であるだけ、いっそう厄介なことになります。そこで、ソクラテスはクリトンに向かって、

「君の言うようなことを、なすべきか否か、僕たちは検討してみなければならないのだ」ー(『クリトン』46B)

と一緒に吟味しようと呼びかけます。クリトンの説得(logos)が正しいものであれば、それに従う用意がある、それがソクラテスの身の処し方なのです。

自分の内にある欲望や恐怖などの感情に動かされたりはしないで、よく検討して、最善だということが明らかになった結論(logos、言論)にのみ従って行動するのがソクラテスでした。それは、今に始まったことではなく、いつもそうであったのです。もし、ソクラテスが、言論の正しさを明確にしないまま、クリトンに従って、脱獄して生き長らえるとなると、自らの人生を放棄してしまうことになります。なぜなら、

「吟味のない生活というものは、人間の生きる生活ではない」ー(『弁明』38A)

というのが、ソクラテスの考え方・生き方であったからです。

対話をとおして、正しいロゴス(logos、言論、結論)を見出し、
そのロゴスに従って生きてきたソクラテス、
クリトンの説得が、正しいか否か、
その吟味が、いよいよ始まります。
健太くん、一緒に、対話篇『クリトン』を通して、
ソクラテスとクリトン、二人の対話を、
しっかりと聞いてみませんか!!!・・・
 

クリトンのソクラテス救出計画

 投稿者:健太  投稿日:2012年 6月20日(水)09時12分17秒
  クリトンが朝早く、ソクラテスを獄舎に訪ねたのは、ソクラテスの死刑執行の時が迫っており、かねてから進めていたソクラテス救出計画を決行するには、もはや一刻の猶予もないと判断したからでした。まだ面会の許されないはずの早朝に、牢の番人が、クリトンが牢内に入ることを認めたことを、いぶかしく思ったソクラテスに、クリトンは、

「もう僕となじみになっているのだ、ソクラテス、よくここへ通うからね。それに、僕のほうから何かと心づけもしているので、ね」ー(『クリトン』43A)

と、看守に鼻薬を嗅がせてあることを伝えています。すでに、看守たちを買収するなど、逃亡に必要な資金は用意されていたのです。クリトン自身にも充分な財力がありましたが、テバイから来たシリアスケベスも、そのための金銭を用意していました。二人とも裕福な青年で、もとピタゴラス派のピロラオスに師事していたのですが、ピオラオスがテバイを去った後は、アテネのソクラテスを慕い、その仲間になっていたのです。他にも、彼らのように、ソクラテス救出のために金を出すつもりの者がたくさんいたようです。

 また、ソクラテスは法廷で、外国へ出て行っても、そこで知を愛求する(哲学)活動を続ければ、また追放されるであろうと言っていました。そこでクリトンは、亡命先についても、

「テッタリアへ行く気があるなら、あそこには、僕の家の客分に当たる者がいるから、君を大切にして、君の安全を計ってくれるであろう。だから、君を苦しめるような者は、テッタリア人のうちには、一人もいないことになる」ー(『クリトン』45C)

と、どこへ行っても大事にしてもらえるところがあると、しっかりと準備していました。クリトンをはじめとする、友人たちによるソクラテスの救出計画は、決して実行困難なものではなく、ソクラテスが牢獄を脱出し国外に亡命する決心さえすれば、十分に可能であったのです。ところが、当人のソクラテス自身が同意いたしません。しかし、クリトンや友人たちは、ソクラテスの救出は、当然なすべき行為であると確信していました。

ソクラテスの罪は、告訴状から明らかなように、国家の宗教と教育に関わる思想犯であり、窃盗や殺人などの犯罪とは異なり政治犯に近いものでした。実際に、ソクラテスが訴えられた背景には、若い頃ソクラテスに最も近い仲間であったクリティアスアルキビアデスに対する政治抗争が絡んでいて、アニュトスを中心とする民主派の人々からは、クリティアスのような危険人物を教育した反民主派の黒幕と思われ、その根を断ち切ってアテネの民主政治を堅守するために、ソクラテスを抹殺しようとしたのです。

こうした勢力争いの中で下された死刑判決に従うことは、正しいことではない。敵に打ちのめされ、破滅されるような危機を乗り越えようとしないのは、臆病で無能な人間であることの証であり、危機を乗り越えて、生き延びることが、男らしい徳を備えた勇敢で立派な人間のなすべきことだというのが、クリトンたちの思いでした。その上、ソクラテスには三人の息子がいて、末っ子はまだ赤ん坊でした。彼らを扶養し教育しなければならないのに、その息子たちを置き去りにして死んでしまうことは、父親として無責任だとも、クリトンは主張します。

政治上の勢力争いは、当時のアテネでは日常茶飯事で、政治的亡命も珍しくありませんでした。政敵の謀略、あるいはそれに伴う個人的な怨恨に簡単に屈しないで、友であるソクラテスを、仲間と一緒になって救出するのは当然のことであり、もしソクラテスが、そうした脱獄亡命計画を拒否することになれば、自分自身は勿論のこと、自分の息子たちをも見捨てることになります。ソクラテスを救出する条件はそろっているのに、それをしなかったなら、ソクラテスにとっても、また仲間にとっても、一つの災難であるに止まらず、同時に恥辱になるかも知れないと考えていたクリトンは、

「なにしろ、今晩中に、その万事を片づけてしまわなければならないので、もしなおぐずぐずしているようなことがあれば、それこそ、もう可能の条件が失われて、できなくなってしまうのだ。もうよけいなことは言わない。何でもいいから、ソクラテス、僕の言うとおりにしてくれ。いやだなんて、どうか、言わないでくれ」ー(『クリトン』46A)

とソクラテスに迫ります。一般のアテネ人たちも、クリトンのそうした考えや行為を決して非常識なものとは受け止めるはずがありません。争いに負け、一切を奪われ何の抵抗もなく退くことは、臆病で無能な人間であるというのは、まさに一般人の思いと同じです。


ソクラテスは、なぜ、
クリトンたちの救出計画に同意しないで、
政敵の謀略や個人的な怨念によって告発され、
決して正しいとは思えない死刑判決に従って、
刑死することを選ぼうとするのでしょうか。
プラトンの対話篇『クリトン』の続きを、、
しっかりと読んで、その理由を解明いたしましょう。
チキータさん、次回、よろしくお願い致します・・・
 

脱獄を勧めるクリトン

 投稿者:Chiquita  投稿日:2012年 5月20日(日)09時34分30秒
  クリトンが牢獄に駆けつけて来て、ソクラテスに脱獄を勧めたのは、ソクラテスが刑死すると、二度と見つけることのないような大切な友人を失うことになるからでした。しかし、クリトンにとっての災難はそれだけに止まりません。もしソクラテスを脱獄させなかったなら、金を使いさえすれば脱獄させることができたのに、クリトンは友人よりも金銭を大事にしたと、大多数の人たちに思われます。そこで、クリトンは、

「大衆というものは、最大の災悪を作り出すことができるから、その思惑を気にする必要があるのだ」ー(『クリトン』44D参照)

と主張します。この件に関して二人の意見は対立し、ソクラテスは反論します。

「大衆というものは、人を賢くすることもできなければ、愚かにする能力もありはしない。すなわち、最大の善福も最大の災悪も、どちらも作り出すことはできはしないのだ。彼らのすることは、何にしても、その場かぎりのことなのだよ。従って、彼らの思惑を気にすることはない。むしろ当然僕たちが気づかわなければならないのは、特にすぐれた人たちのことなのであって、その人たちなら、どんな行動でも、事実行われたとおりに受取ってくれるだろうからね」ー(『クリトン』44CとD参照)

クリトンは、身体の滅びることを最大の災悪と考えていたのです。ところが、ソクラテスの考えでは、身体は、金銭や地位や名声等と同様に、自己自身の付属物に過ぎないものなのです。人間にとって最も大切なのは自己自身そのものである魂(pshyche)であって、最大の災悪は魂が劣悪になることです。身体の消滅は、金銭などを失ったのと同じ程度のことで、大した問題であるとは思ってもいなかったのです。

自己自身と自己自身の付属物といずれが大切であるかは明白で、比較のしようもありません。しかし、クリトンとソクラテスの意見の対立、その背後には身体を大切に考えているクリトンと、身体よりもを大切にしていたソクラテスとの価値観の違いがあったのです。


私たちはどうでしょう。
付属物に過ぎない肉体と、
自己自身そのものである魂と、
いずれを大切にしているのでしょうか。
生き延びるためであれば、
また金銭や地位や名声など、
自分の欲望を満たすためであれば、
いかに卑劣なことでも為して、
そのことによって、最も大切な魂を、
劣悪なものにしてしまうことに、
気づいてもいない。
それが、私たちの現実なのかもしれません。
多分、クリトンも、私たちと同様に、
単なる常識人に過ぎなかったのです・・・
 

牢獄に駆けつけたクリトン

 投稿者:健太  投稿日:2012年 4月15日(日)10時49分17秒
  クリトンは、ソクラテスと同じアロペケ区出身、同年齢の竹馬の友でした。裕福な農民であって、貧しいソクラテスのために、いろいろと身辺の世話をやくなど、忠実な友であったのです。

ところで、死刑の判決を下されたソクラテスは、刑の執行されないで牢獄に拘束されたままでいました。アテネでは、テセウスの誓いによって、毎年デロス島の聖地へ、船で祭典のために使節団を派遣していました。船が出港すると祭典が終わってふたたび帰港するまでの間は、国内を清浄に保つために、公の死刑は一切おこなわれないことになっていました。たまたま、ソクラテスの裁判は、BC399年の春、その年の祭典使節団出発の前日に行われたため、死刑が確定したにもかかわらず、刑の執行は、祭使派遣の掟に従って、船が帰港する日まで延期しなければならなかったのです。この延期はかなり長く、クセノポンの『ソクラテスの思い出』(4の82)によると、30日間に及んだといわれています。

そんなある日、夜明け少し前に、クリトンは、その船が今日帰国し、従って、ソクラテスの生涯における最後の日が明日だということになるであろうことを知らせるために、ソクラテスの居る牢獄に駆けつけて来たのでした。

しかし、クリトンは、眠っているソクラテスをすぐには起こさないで、黙ってそばに座っていました。それは、死期の迫っているソクラテスが、取り乱すところもなく、いかにも気持ちよさそうに眠っているのに感心し、出来るだけ気持ちよくすごさせようと思ったからでした。

やがて、ソクラテスが目を覚ますと、死刑という不運に当面しても、むずかりもしないソクラテスに、クリトンは、

「一生を通じて、きみは仕合せな性分のひとだと思ったことがあるけれど、今度のわざわいで、特にそのことを感じたね」ー(『クリトン』43B)

と話しかけます。ソクラテスもそうだったのでしょうが、とにかく、偉大なる人物は皆オプティミスト(optimist・楽天家)なのですね。その後、クリトンから、

「船は今日帰って来るだろう」ー(『クリトン』43D)

と知らされたソクラテスは、その船が帰って来るのは、今日ではなく明日だと言い返します。なぜ、そう確信していたのでしょうか。その理由は、夢の中で、ひとりの女性が呼びかけて、

「ソクラテスよ、あなたは、三日目にして、ゆたけきプティエの地に着くならむ」ー(『クリトン』44B)

と言ったと思っていたからでした。これは、ホメロスの『イリアス』9巻363行で、アキレスがトロイ戦争から手を引いて、

「私は三日目にして、ゆたかなプティエに着くだろう」

といっている言葉をもとにして、ソクラテスは、自分の夢知らせを解釈したようです。

プティエ(Phthie)は、アキレスの故郷の名前です。ソクラテスがプティエに行くということは、死の世界へ行くこと、つまり刑死することを意味しています。しかし、夢の中の女性は、三日後にソクラテスが着くところを、アキレスの故郷と同じ名前のプティエであるという。ソクラテスにとって、あの世は自分の故郷であるということなのでしょうか。人生は流謫の旅路、死は天上の故郷への復帰、それが、ソクラテスの思いであったに違いありません。

『ソクラテスの弁明』の続編『クリトン』を
読みながら、死刑の確定したソクラテスの、
その後を引き続き追っていきましょう!!!、
 

法廷におけるソクラテスの最後の言葉

 投稿者:Chiquita  投稿日:2012年 3月20日(火)10時20分22秒
  「わたしの死後、間もなく諸君に懲罰が下されるだろう」ー(『弁明』39C)

と、死を票決した人たちに予言し、彼らと別れを告げたソクラテスは、その後、無罪の投票をした者たちに向かって、自分の実の友だちとして、

「この度の出来事は、どうもわたしにとっては、善いことであったらしい」ー(『弁明』40C)

と語りかけます。死刑がなぜ善いことなのでしょうか。その理由として、まずソクラテスがとりあげたのは、自分にはダイモン(神)の声(合図)があって、ごく些細なことでも、自分の行おうとしていることが、当を得ていない場合には必ず反対していたのに、この度は、朝、家を出る時も、法廷にやって来て発言台に立つ時も、また弁論の途中でも、どのような場合でも反対しなかったということでした。それを証拠として、

「死を災悪だと思っているのなら、そういうわれわれすべての考えは、どうしても正しくはないのです」ー(『弁明』38D)

とした上で、死は、全くの虚無に帰するか、それとも、この世からあの世(ハデス)への魂の転居であるかのいづれかだと、死についての二つの可能性を示します。僕も、死について、それ以外のことは考えられません。

もし、死が全くの虚無に帰するものであれば、なんの感覚もなく、人が寝て夢一つ見ないような場合の、眠りの如きものであり、びっくりするような儲けものです。また、もし、あの世への旅立ちであるならば、死後そこで、かつて亡くなった英雄や詩人たちと再会し、親しく交わり、心ゆくまで話し合えます。これは、最早死ぬことのない世界でのはかり知れない幸福ではないですか。従っていずれにしても、死は善いものだということになると、ソクラテスは主張し、

「諸君にも、死というものに対して、よい希望を持ってもらわなければなりません」ー(『弁明』41D)

と話した後、自分の死後を見据えてのことでしょうか。自分の息子たちが成人したら、次のような仕置きをするようにと、陪審員たちに求めます。

「もし彼らが、自己自身をよくすることよりも、金銭やその他のことを、まず先に注意しているように、諸君に思えたり、また何の実もないのに、既に何ものかであるように考えているようだったら、彼らは留意すべきことに留意せず、何の値打ちもない者なのに、一かどの者のように思っているといって、わたしが諸君にしたのと同じように、彼らの非を咎めてください」ー(『弁明』41E)

この仕置きはまさに、ソクラテスが、人々から知恵ある人物と賞賛され、自らもそう思い込んでいる者たちに対して、

「最も大切なものが何であるか知りもしないで、つまらぬものを不相応に大切にし、金銭や地位があるからといって、自分を一かどの者のように思い込んでいる。全くの無知者だ」

と批判し、苦しめ、

「魂の世話をせよ」

と警告してきたことです。それと同様に、自分の息子たち非をも咎めるように依頼します。こうして、判決後に、いろいろと話しているうちに、法廷を出ていかなければならない時刻となります。そこで、ソクラテスは、

「もう行かなければならない。わたしはこれから死ぬために、諸君はこれから生きるために。しかしわれわれの行く手に待っているものは、どちらがよいのか、誰にもはっきりわからないのだ、神でなければ」ー(『弁明』42A)

という言葉を残して、法廷を後にします。もともと、ソクラテスは、

「善き人には、生きているときにも、死んでからも、悪しきことは一つもない」ー(『弁明』42A)

という確信があり、また、自分の死についても、それが善いものであるという希望を持っていました。しかし、そうした人間の判断が絶対であるとは断言できません。それ以上のことは、神に任せる他ないというのがソクラテスの考えのようです。

健太くん、ありがとう。本日をもって、なんとか『ソクラテスの弁明』を読み終えることができ、その間、自分の思いを力強く表明するソクラテス大先生にお目にかかれ、一つ一つの言葉に感銘し心惹かれました。『弁明』の続編といわれている『クリトン』には、死刑の宣告を受けた後、国法を遵守して平静に死を迎えようとするソクラテスと、ソクラテスに脱獄を勧める年老いた友人クリトンとの、獄中での対話が描かれています。いずれもプラトンの初期の対話篇で、優れた筆致で師ソクラテスの偉大な姿をみごとに伝えていると伺っています。

『ソクラテスの弁明』と、その続編『クリトン」は、
『パイドン』と『シュンポジュウム(饗宴)』と共に、
「ソクラテスの四福音書」と言われています。
プラトンのソクラテス的諸対話篇の中でも、
ソクラテスの真実を知るためには、
何があっても、これだけは読み切る必要があると思います。
健太くん、次回からは、『クリトン』を共に読みましょう。
とても、楽しみにしています。よろしくお願い致します!!!
 

死を票決した人に対するソクラテスの予言

 投稿者:健太  投稿日:2012年 2月13日(月)11時30分17秒
編集済
  ソクラテスが敗訴したのは、言葉に窮し、充分に弁明できず、言論に敗れたからではありませんでした。ソクラテスは、その原因を、

「わたしが敗訴したのは、不足は不足でも、言葉のそれではなくて、厚顔と無恥の不足したためなのだ」ー(『弁明』38D)

と語っています。もし、無罪放免、それだけを勝ち取ることが目的であるならば、丁度、現代の政治家たちが選挙に勝つために、

「ぶっ壊す!」

などと、大衆の感情を掻き立てるような言葉を連発し、さらに、大声で喚いたり叫んだり、派手なジェスチャーで人心をつかむように、ソクラテスも、涙を流し、多くの同情をかち得るために、自分の子供を登場させるなどして、陪審員たちに哀訴嘆願すれば、彼らを味方につけ説得することができたかもしれません。しかし、ソクラテスは、彼らの好むようなことを言ったり行なったりするつもりはありませんでした。いやしい行いをして、無罪を勝ち取るよりも、正しいことを貫いて、その結果死ぬようなことになっても、むしろその方がずっとましだと考えていたからです。ソクラテスは、裁判の結果について、

「わたしはあなたがたから、死の刑を負わされて、この場を立ち去ろうとしているが、この諸君は、真実というものによって、凶悪と不正の刑を負わされて、ここを出て行くのです。わたしも、この裁定に服するが、この諸君もまた、そうすべきである、しかしこれらのことは、たぶん、おそらくこうならなければならなかったのだろう。わたしも、これで結構だと思っている」ー(『弁明』38D)

と、自らの思いを述べ、その上で、死を票決した彼らに対して、

「諸君はわたしの死を決定したが、そのわたしの死後、間もなく諸君に懲罰が下されるだろう。それは諸君がわたしを死刑にしたよりも、ゼウスに誓って、もっとずっとつらい刑罰となるであろう」ー(『弁明』39C)

と予言します。そのつらい刑罰とは、今までよりももっと多くの人間から厳しい吟味を受けることになるということなのです。そして、

「人を殺すことによって、諸君の生き方の正しくないことを、人が非難するのを止めさせようと思っているいるのなら、それはいい考えではない。なぜなら、そういう仕方で片付けるとということは、立派なことでもないし、また完全にできることでもないのだ。むしろ、他人を押さえつけるよりも、自分自身を、できるだけ善い人になるようにするほうが、はるかに立派で、ずっと容易なやり方なのだ。・・・・これでもうお別れだ」ー(『弁明』39D)

と言って、彼らに別れを告げます。

ソクラテスの死後、彼の予言通り、
この裁判で、死刑を宣告した者たちは、
賢者ソクラテスを死刑にした、という汚名を得、
咎められることになります。


他人を押さえつけるようなやり方について、
否定的なソクラテスの考えは、
マタイ福音書に描かれている、
「退く」イエスに、どこか似ている、
そう思えてなりません。
 

ソクラテスの申し出た量刑

 投稿者:Chiquita  投稿日:2012年 1月23日(月)10時47分45秒
 
2012年、あけましておめでとうございます。
和顔愛語、
和やかな笑顔に優しい言葉で、
お互いに顔晴れ(ガンバレ)ますように心より願っています!
今年も引き続き、『ソクラテスの弁明』を読み、
ソクラテス大先生に導かれて、共に思索を深めましょう。


アテネの法定は陪審制で、普通の市民から選出された人々が投票によって有罪無罪を決定し、更に、原告と被告の申し出にもとづいて、刑を定めることもありました。

ソクラテスの場合、裁判に当たったのは501人であったそうです。そして、281票対220票で有罪判決を受け、その後、原告のメレトスは死刑を要求します。それに対して被告のソクラテスは、(u)市の迎賓館(プリュタネイオン、prytaneion)で給食を受けること(/u)を提起します。

ソクラテスは、アテネ人ひとりひとりをつかまえて、

自分自身(プシュケー)が、できるだけすぐれた者となり、思慮ある者となるように気をつけて、自分にとっての付属物となるだけのもの(金銭や地位など)を、決してそれに優先して気づかうようなことをしてはならない」ー(『弁明』36C参照)

と説得することを試みていたのでした。このような善いことをしてきた人間が、何を受けるのが妥当かといえば、当然善いものでなければなりません。当時、オリュムピアの競技で優勝した選手はプリュタネイオンでもてなしを受けていたのです。しかし、彼らは観衆をただ幸福だと思われようにするだけですが、ソクラテスは、幸福であるようにしているのです。そうだとすると、ソクラテスのほうが、彼ら以上に、プリュタネイオンでもてなしを受けるにふさわしいということになります。

しかしソクラテスは有罪判決を受けたのです。善いものを受けることが至当の評価であるとは言え、市民としての最高の栄誉であるプリュタネイオンでの給食を、陪審員が容認するはずなどあり得ません。そこで、ソクラテスは、量刑について検討します。

拘留刑は、役人の奴隷になって生きなければならず、生きるに値しません。

罰金刑は、金のないソクラテスにとって、支払いきれず、その間拘留されることのなり、拘留刑と同じになります。

国外追放の刑を申し出て外国へ出て行っても、そこで、知を愛求する(哲学)活動を続ければ、また追放されるから、申し出の意味がありません。問答しながら自他を吟味することをやめ、沈黙を守って、おとなしく生きれば、追放されるようなことはないでしょうけれど、そのような生き方は神に対する不服從でありますし、人間にとって、吟味のない生活というものは、生きるに値しません。

悪を受けるのが当然だとは考えられないソクラテスは、いろいろ思案した後、結局、罰金刑なら自分にとって実害はないとして、支払い可能な銀一ムナを申し出ますが、その程度の罰金刑を認める者はいないであろうと心配したプラトンやクリトン等、ソクラテスと親しい仲間たちが保証人となって、三十ムナの科料を申し出ることになります。

その後、刑量の票決が行われます。その結果、メレトスの主張した死刑が、361票という大多数をもって可決され、ソクラテスの死刑が確定されます。

第一回目の有罪か無罪かの投票では、有罪が281票対して無罪が220票であったのに、第二回目の量刑の投票で、なぜ死刑が362票に対して罰金刑が140票という大差がついたのでしょうか。当初無罪に投票した者のうち、80名もの陪審員が死刑に投票したなんて、とても納得できません。おそらく、ソクラテスが刑の申し出において、プリュタネイオンで給食を受けることを提起するなどしたことによって、法廷を憤慨させたからに違いありません。

当初から、ソクラテスは、
死を免れようなどとは、
一切考えていなかった、
『弁明』を読んでいると、
そうしたソクラテスの思いが伝わってきます。
 

ソクラテスと独裁政権の指導者クリティアスの関係

 投稿者:健太  投稿日:2011年12月19日(月)10時23分33秒
  前404年にペロポンネソス戦争が終結し、その混乱がおさまりかけた頃になって、なぜソクラテスが起訴され、死刑に処せられたのか。この件について、後に、アテネの政治家アイスキネス(前390年ころ~前315年ころ)は、

「アテネ人がソクラテスを死刑にしたのは、民主制を破壊した三十人独裁政権の指導者クリティアスの教育者であったことが判明したからである」

と断言しています。

天成の教育家ソクラテスが、優れた才能を持っていた若き頃のクリティアスに特別な愛情を抱いていたとしても不思議ではなく、二人の間に交友関係があったことは否定できません。万が一、スパルタ軍の司令官リュサンドロスの勢力を利用して三十人独裁政権を確立し、恐怖政治を現出したクリティアスが、ソクラテス的教育の産物だとすれば、ソクラテスは、独裁恐怖政治の重大責任者ということになります。実際、民主政権再建の功労者アニュトスが、メレトスのような人物を使ってソクラテスを起訴したのは、民主制を回復した今こそ、恐怖政治の責任をソクラテスに取らせ、国家社会を破滅に追い込みかねない恐るべき病根を除去しようと考えてのことでした。

はたして、ソクラテスは反民主派の黒幕として、クリティアスのような危険人物を教育したのでしょうか。この件に関して、ソクラテスは、

「例の三十人の革命委員に本部に呼び出され、サラミスの人レオンを殺すために連れてくるように命令された時、他の四人はサラミスへ行ってレオンを連れてきたのだが、私だけは、命令に従わないで、家に帰って来てしまったのです」ー(『弁明』32CD参照)

と、自分は独裁政権の協力者でなかったことを証拠立て、さらに、

「わたしは、正義に反することは、何ごとでも、未だかつて何びとにも譲歩したことはないのであった、わたしを中傷する人たちが、わたしの弟子だと言っている者どもの、何びとに対しても、また譲歩したことはないのです。なおまた、わたしは、未だかつて何びとの師となったこともありません」ー(『弁明』33A)

と言っています。ソクラテスは、クリティアスの指導する三十人政権の命令を無視することによって、生命の危険を冒したのです。もし、三十人政権が倒されなかったなら、ソクラテスの死は前399年ではなく前403年であったはずです。

また、アポロンの神託をもたらしたカイレポンについて、

「カイレポンを、たぶん、諸君はご存じであろう。あれはわたしの、若い頃からの友人で、あなたがたの大多数とも、同じ仲間に属し、先年はあなたがたと一緒に、外国に亡命し、また一緒に帰国しました」ー(『弁明』21A)

という事実を語り、ソクラテスの本当の仲間は、むしろ三十人政権に対する抵抗派のうちにあったことを示し、自らをクリティアスの一味とすることの不当を暗示しています。

若き頃、有能でソクラテスと交友関係があり、
後に、国家に多くの害を及ぼした者といえば、
クリティアスだけではなく、
もう一人アルキビアデスがいました。
この二人が、ソクラテスの死に、
深く関わっているのではないか、
とも考えられます。

ソクラテスは天成の教育者であり、
知を愛する人であるとともに、
若者たちの誘惑者でもあったのです。
ですが、決して党派的人間などでは、
ありませんでした。


思索の深まりが人生を豊かにする。
2011年も残りわずかになりました。
この一年間、ソクラテス大先生に導かれて、
チキータさんと一緒に、いろいろと考えることができ、
大変うれしく思っています。
来年もよろしくお願い致します。
 

有罪判決の結果について(2)

 投稿者:Chiquita  投稿日:2011年11月16日(水)11時37分42秒
編集済
  法廷におけるソクラテスの弁明により、陪審員は訴えの不当性を充分に理解していたと考えられます。それなのになぜソクラテスに有罪の票決が下ったのでしょうか。その理由として、ソクラテスが、

「ソクラテスより賢い者はいない」

という神託を公にしたことや、被告が通常行う、涙を流して哀訴嘆願するようなことは一切せず、自らの正当性を堂々と主張した、そうした態度が、傲慢過ぎると理解され、陪審員たちの反感をかったとも考えられます。もしそうしたことがなかったなら、票差はもっと縮まっていたかもしれません。しかし、票決に決定的な影響を及ぼしたのは、ソクラテスが語っているとおり、アニュトスの存在でした。ソクラテスの起訴において、名義人のメレトスに大した重要性はなく、中心人物はアニュトスであったのです。

アニュトスは手工業者出身の政治家で、民主派の有力者でした。
BC404年に、ぺロポンネソス戦争に敗れた直後、クリティアスがスパルタ軍の司令官リュサンドロスの勢力を利用して三十人独裁政権を確立します。当初は、戦時中の非行者を摘発処罰するだけの仕事だったものが、やがて危険分子を除くという口実で、いろいろな人を殺害する恐怖政治の現出に至ります。希望を失った人たちのうちには、国外へ出て行く人も少なくありませんでした。問題のアニュトスもその一人でした。ソクラテスの仲間カイレポンもそうでした。しかし、間もなくアニュトスは同志と共にアッチカに侵入し、次第に勢力を増して、ついにベイライエウス港に進出します。そこの台地で独裁政権と対戦し、クリティアスを戦死させ、そして、『既往をとがめず』という条件で、内戦を終結し民主政権を再建します。この内戦は、実に過酷な戦いで、対外戦の時よりも多くの死者を出したと言われています。

アニュトスは、思想的には保守的な人で、ソフィストの新教育啓蒙思想に脅威的なものを感じ、大変嫌っていました(『メノン』90以下参照)。ところが、クリティアスは、優れた才能の持ち主で、若い頃ソクラテスとの交友もあり、啓蒙思想の洗礼を受けたインテリと見られていたのです。クリティアスの独裁政権を打倒するために戦ったアニュトスは、クリティアスの師と考えられるソクラテスに対して迫り、

「死刑にしないでおくことはできない」ー(『弁明』29C)

と断固とした決意をもって、ソクラテスを法廷に呼び出したのでした。なのになぜ、アニュトスはソクラテスとクリティアスの関係を追求しないで、不敬罪で、しかもメレトスのような人物を使って訴えたのでしょうか。おそらく、BC403年の『既往をとがめず』の誓いを考慮した結果です。

ソクラテス裁判の争点は、「教育問題」と「宗教問題」でしたが、それは表面上のことで、告発者メレトスの背後には民主政権再建の功労者アニュトスがいて、実際には、民主派と独裁派の対立という政治問題が深く絡んでいたのです。

民主派の人々から、ソクラテスは反民主派の黒幕であり、クリティアスのような危険人物を教育したと思われていました。自ら愛国者と称し、人望を集めていたアニュトスは、民主制が回復した今こそ、是が非でも恐怖政権の責任をソクラテスに取らせ、国家社会を破滅に追い込みかねない恐るべき病根を除去する機会と考えていたに違いありません。そうしたアニュトスを前にして、ソクラテスは、はじめから敗訴を覚悟しなければなりませんでした。しかし、有罪判決の結果に驚きます。それは、有罪と無罪の当票差が思いの外少なかったからです。

ソクラテスとクリティアスとの接触は、
事実上否定することはできません。
クリティアスは優れた才能の持ち主でした。
天性の教育家であったソクラテスが、若い時代の彼に、
特別な愛着を抱いていたとしても不思議でありません。
だからと言って、ソクラテスが反民主派の黒幕として、
クリティアスのような危険人物を教育したとは考えられません。
次回、この点についての解明をいたしましょう。
 

有罪判決の結果について(1)

 投稿者:健太  投稿日:2011年10月16日(日)10時07分19秒
  500人の陪審員の投票によって、ソクラテスの有罪が決定します。その結果について、ソクラテスは次のように語っています。

「この結果は、私には意外でなかったのだ。それよりもむしろ、双方の投票の結果出てきた数に、大いに驚いているのだ。というのは、わたしはそれが、こんなわずかの差ではなくて、もっと大きな差になるものと思っていたからだ。ところが、今の模様では、ただの30票だけでも、反対の側に行けば、わたしは無罪になっていただろう」-(『弁明』36A)

三十票が反対側に行けば無罪になっていたということは、280名が有罪に投票し、220名が無罪に投票したことになります。その差六十票は、ソクラテスにとって、思いの外僅差であったのです。

ソクラテス裁判の争点は、「青年の教育に影響を与える」という『教育問題』と、「国家の認める神々を認めず、別の新しい鬼神の類を祭る」という『宗教問題』でした。その告発の動機となったのが、無知の暴露による個人的怨恨にあったと考えられます。

カイレポンのもたらしたデルポイ神託の謎解きのために始めたソクラテスの仕事が、富や地位があり、一般に知恵あると思われ、本人自身もそう思い込んでいる政治家や作家や技術者など、評判の高いお偉い方々の無知を暴くことになります。彼らは無知に気づいていなかった自分自身に対して腹を立て反省するでなく、無知を明らかにしてくれたソクラテスを逆恨みして、

「ソクラテスはけしからぬ奴だ。若い者によくない影響を与えている」-(『弁明』23D)

と非難し、自分たちの立場を守るために、無神論的な自然哲学者や、青年たちを引き寄せ詭弁術をもてあそびながら利益を得るソフィストたちに対してなされていた批判を、そのままソクラテスに向け、組織的に永い時間をかけて猛烈に行なってきたのでした。そして、今こうして大きくなった中傷を、このわずかな時間で取り除くことなどできないと考えていたソクラテスは、弁明を始めるにあたって、まず最初に、

「わたしの弁明が成功すること希望したいと思う。しかし、それはむつかしいと思う」-(『弁明』19A)

と言っています。そして、有罪判決が下っても、予想通りの結果として、冷静に受け止めます。ただ、無罪に投票した陪審員が220名と思いの外多かったのに驚きます。ソクラテスは、自らの弁明が成功し、メレトスの告訴状にみられるような、個人的な怨恨や中傷だけでは、アテネの法廷を納得させることはできなかったのだと確信し、

「メレトスに対しては、わたしは無罪放免と信じている。もし、アニュトスが、わたしを訴えるために登場しなかったなら、彼は、投票の五分の一も獲得できないで、一千ドラクマの罰金をとられることになってなっていただろう」-(『弁明』36A-B)

と、自らの思いを述べています。

告訴人メレトスに対しては、
間違いなくソクラテスは無罪であったのです。
しかし、六十票の僅差とはいえ、結果的には、
有罪に投票した陪審員が多数を占めたのです。
その背後に、アニュトスありという。
何が一体、彼ら陪審員たちをして、
ソクラテスに対して、有罪の投票へ向かわしめたのでしょうか。
次回、その点についての解明を、チキータさんにお願い致します。
 

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